歴史の深いこの神社は、 算額や中世文書など数々の文化財を有しています。
中でも室町時代初期に作られた北野天神縁起は道真の誕生から死後天神として祀られるまでの一代記をまとめた全7巻の絵物語りで、 全国でも唯一の絹本着色画ではないかといわれています。
景行天皇40年、 庚戌年の日本武尊東夷征伐のとき、 武尊が所沢に数日立ち寄ったことで、 所沢には武尊にまつわる伝承がいくつか残ってますが、 その伝承に深く関わっているのが北野天神社で、 北野天神社の起こりは八岐の大蛇の尾から出たという草薙の剣をを祀った出雲神社を武尊が移し分祀したのが始まりと伝わっています。
そのとき、武尊自らの手で桜を植えられましたが、 尊桜(みことざくら)という名で呼ばれ、 今も北野天神社境内に残っています。
ただし、現在のものは、当時植えられた物ではありませんが、 享和2年(1802)尊桜が4代目を迎えたときに、 これを後の世まで長く伝えるため有志により傍らに
「享和ふたつの年 みこと桜の 花に遊びて」 蝶夢庵紀迪
「そのかみや 移うへけん むさしのに にゐまりやまの さくらひと木を」
と刻まれた碑が建てられています。
そのほか境内には徳川家康公御巡見の折りに尊桜をご覧になり、 そのときに植えられたと言われる名木「将軍桜」や尾張中納言従の吉通鷹野が植えたといわれる「中納言松」などが残っています。
また、学問の神様菅原道真公を祀り学業成就に霊験があるといわれ、 毎年の受験シーズンには大勢の参拝者が訪れます。
資料提供:所沢市経済部商工課