しかし、村内氏子がいくつにも分かれていては、民心が統一しない事を憂いた有志者は、 明治17年9月19日村社である浅間神社にあった富士山の移築を図り、 上組・中組・下組の村人が総出で真心を込めて運ぶ「一もっこ」ずつの土により 高さ10mの富士山を15年の歳月をかけて築き上げました。
高さは120mで、当時は関八州を見渡せるといわれたほどで、 頂上からの眺望はすばらしく人造の富士としては関東一といわれています。
また、この付近は所沢市の緑地保全事業の一環で「荒幡富士・市民の森」として整備されており、 クヌギ・コナラ・赤松などの武蔵野の自然が残されています。
指定面積は4.2haで雑木林の中には野鳥の森・学習の森・やすらぎの森を巡る散歩道と2ヶ所の休憩所が設けられ、 市民の憩いの場となっています。
荒幡の富士 | 荒幡の富士からの眺望 | 荒幡の富士からの眺望 |